☆ Ray Bradbery ☆
 ● 怖いものしらずのブラッドベリのパロディ ●

『10月のたそがれの部屋』

(虎の三題話に投稿した作品。お題は、21世紀・船・ブラッドベリ)

 老人は、左手でグラスを揺らしながら、もう一方の腕ででゆっくりと書斎の扉を開けた。魔女が、彼のふくよかな顔の横をすり抜けて外へ出て行った。彼は何事も無かったように、まっすぐ机に向かう。そして、椅子に腰かけ深い窪みを作ると、マホガニーのこげ茶の板の上にグラスを置いた。鈴を鳴らすような音は、妖精の羽音だ。こげ茶の上に、点々と粉が散らばっていた。老人は、『やれやれ、銀粉がたんぽぽ酒に落ちなければいいが』と思ってため息をつく。少なくなった頭髪のせいで、地肌にも銀粉がチラチラと落ちた。
 これから書き上げる小説が、出版社に渡り、本となって書店に並ぶ時には、もう21世紀になっているだろう。21世紀最初の作品として、ふさわしいものを書こう。老人の背筋が自然と伸びた。
 だが、タイプライターに用紙をセットしようとして、老人はとまどった。どこに挟めばいいのだろうか。紙を入れる隙間が見当たらなかった。
「ご主人さま。これはタイプライターではございませんわよ」
 家政婦の声に顔を上げる。彼女はカタカタ金具の当たる音をさせながら近づくと、
「これはノートパソコンじゃないですか。紙は別の機械にセットするんですのよ」と、関節をきしませながらノートの蓋をあけてくれた。彼女もかなりガタがきているようだ。あとで油を差してやろう。
 机の前の窓からは、みずうみが見えた。まぶしい光に水面がきらめいていた。人が集まっているのは、少女の遺体が十数年ぶりに上がったからだろう。
 その時、ジリジリジリと耳障りな金属音が遠い部屋から聞こえた。
「電話のベルのようだ。すまんが、出て来ておくれ。30年前に、わしが今のわしにかけた電話かもしれんのでのう」
「ご主人さま、あれは電話でなくて玄関のベルの音ですわ。今行って参ります」
 ロボットの家政婦は部屋を出て、しばらくすると戻ってきた。
「近所の子供たちが、ご主人さまにお話を伺いたいのだそうです。居間の方にお通ししておきました」
 
 老人が書斎を出ると、孫娘が地下室の階段を上がって来たところだった。
「やあ、マニー。きのこはどんな案配かね?」
「すばらしいわ。とても成長が早いの。もうすぐおじいさまにも食べていただけるわ」
 マニーの笑顔に、老人は肩をすくめる。
「わしは遠慮しておくよ。わしは最後までわしでいたいんでね」
 居間で待つ少年たちは三人。老人が部屋に入って来た時には、一人が部屋をきょろきょろ見回していた。
「ジョン、どこにタイムマシーンなんてあるのさ。それともこの部屋じゃないの?」
「しっ、ダグラス黙って。今入って来たのがそうさ」
 老人がロッキングチェアに座ると、ジョンと呼ばれた少年が口を開いた。
「ブラッドベリさん、僕ら、お話を聞きに来ました」
 老人は椅子に深く座り直す。
「なんじゃね?何を聞きたいんじゃね?」
「2026年に、火星に魚釣りに行った時のことを」
『2026年だって!?』と、ダグラスが飛び上がった。『今は2000年だぜ。ジョンったら、どうしちまったんだ?』
「おまえは黙ってろって言っただろ! 僕ら、ぜひ伺いたいんです」
 老人は静かに頷くと、
「そう、あれを言い出したのは、妻の方だった。わしは言い出す決心がつかなかった。実際には、ピクニックでも魚釣りでもなく、地球がオシマイになる前に火星に逃げ出したんじゃからなあ・・・」
 水が流れるように言葉があふれ始めた。目をつぶると、地球の最後の戦争の様子や、火星の運河に映っていた自分達家族の姿が、昨日のことのように浮かんできた。
「それから、焚書官の任務についていた頃のお話も、ぜひ!」
「いや、わしは反乱者だった。任務を遂行しなかった。後悔はしておらんがね。・・・あれは秋だったな。例の少女に出会ったのは・・・」
 老人が、目をあけた時、目の前の椅子には誰もいなかった。話しながら眠ってしまったらしい。子供たちは帰ってしまった。窓の外の空は、すでに暗く夜に染まりかけていた。
 書斎に戻って、扉を開けると、そこには小型トラックが停まっていた。男が運転席から声をかけた。
「ブラッドベリ先生、お待ちしておりました」
 老人は茫然として、トラックと、男を、交互に見比べた。
「いつこんなクルマがここへ?」
「これが・・・これこそが、『キリマンジェロ・マシーン』です。お迎えに上がりました」
「キリマンジェロ・マシーン。そうか、これが。で、わしを迎えに来たと?」
「先生の、呼吸器も内蔵も筋肉も、すべてをリフレッシュできる医学のある未来へ、お連れすることができます。そうすれば、まだまだたくさんの作品を残すことがおできになります」
「定員は?・・・それには、あと何名乗れるんじゃね?」
「先生お一人です」
 男がそう答えると、老人はふくよかな頬を揺らした。微笑んだようだった。
「では、わしでなく・・・。もう少し過去へ行って、他の人間を乗せてくれんかね?ヘミングウェイという男なんじゃが」
「了解しました。先生はどうなさるんですか?」
「わしは・・・クルマではなく、もうすぐ船に乗るよ。宇宙船乗組員になるんじゃ」
「先生、その船は・・・」
『太陽に墜落するのですね?』と尋ねようとして、男は唇を噛んで言葉を呑み込んだ。クルマは徐々に形が薄れて行き、やがて消えた。
 
 老人は、ゆっくりと、再び机に向かう。窓の外の闇の中で、カボチャ頭とガイコツと三つ目男達がダンスを踊っていた。コビトが宙返りを打った。一瞬目が眩んだ明かりは火吹き男だった。老人の叩くキィのテンポも早くなる。外は霧が立ち込め、遠くに高い影が見えた。霧笛に誘われた恐竜に違いない。
 やがて、老人の指の速度が落ちてきた。瞼が重くなり、老人は前かがみに倒れこんだ。老人は星の瞬きの間に眠りについた。
 老人は近い未来の夢を見る。自分の死後、老人を愛した地球の人々は、真夜中に起きて朝食を食べ、午前3時に昼食を食べ、ディナーは午前6時にとるだろう。オールナイトを見に出かけ、明け方には重いカーテンを引いて眠る。彼らが昼間に散歩に出るのは、銀の雨が降りそそぐ日だけとなるのだ。 

END

RETURN