異界ウェブゲームの完成例です(オリジナル・ノベル)。江戸カルタがどういう風に使用されるか、参考にしてみてください。
なお、怪談異界に掲載されている作品と同じです。
<使用した江戸カルタ>
* ふみはやりたし かくてはもたず
* るりもはりも みがけばひかる
* ていしゅのすきな あかえぼし
上記の3つのことわざを使用して書いた小説です。文章が登場するのではなく、ことわざの意味が小説の中に含まれています。

『さよならストリートのカトリーヌ』

 父の弾く手風琴は、子供心にも、夕暮れが近い切なさを感じさせた。『帰りたい』、そんな気持ちを起こさせる音色。カトリーヌは音に心を委ねながら、往来の石畳にぺたんと腰を降ろして、行き交う馬車の長くなり始めた影を眺めていた。通行人の数はまだ少ない。父の足元、逆さにした帽子の底には、銀貨が3枚光っているだけだ。
 大きな街だった。背の高い塀が永遠に続いていそうな屋敷。馬車がすれ違えるほど広い道路。通りを隔てた酒場、まだ灯も点かない窓の桟は、細い蔓のような飾りが施され、色付き硝子が嵌め込まれている。隣の宿屋も、両開きの広い入口で、客の為にドアを開ける専任の男が立っていた。
 父は、元は軍人だったそうだ。と言っても、そう上の人間では無いだろう。階級が高ければ、戦で片足を亡くしても、辻の手風琴弾きになる必要は無かったはずだ。
「野郎が一人で演奏するんじゃ、華が無えんだろうな。カトリーヌ、おまえ、曲に合わせて踊ってみねえか。下手くそでも、8歳のガキが踊れば、同情でコインを投げてくれる奴がいるかもしれん」
「踊る?・・・うん、わかったよ。やってみるけど」
 カトリーヌは、スカートの埃を払って立ち上がった。
 階段に座る父の、右のスボンの裾だけが、風にはためいている。同情で銀貨が貰えるなら、とっくに帽子が一杯になっている筈だとカトリーヌは思った。
 だが、逆らえば、殴られるだろう。酔っている時もシラフの時も、気に入らなければ父はカトリーヌを殴った。母をそうしていたように。
「踊るって、どうすればいいのかなあ?」
 裸足の足をバタバタと動かしてみる。手を上下に振る。まるで体操か、ピエロが笑いを取る為の動きのようだ。
「ちっ。まるでアヒルだな。せめて器量がよけりゃ、何とかなるんだろうが」
「だって・・・踊りなんて、きちんとしたのを見たことが無いんだもん」
「不細工な上に不器用と来たか。見たことなくても、踊るぐらいできねえのか。音楽を聞いて楽しくて踊るとか、嬉しくて思わず踊るとか」
「・・・。」
 そんな経験、あるわけないじゃないか。カトリーヌはその言葉を飲み込んだ。『楽しくて』踊る?『嬉しくて』踊る?あんたと居て、そんな感情を貰ったことがあったかい?

 カトリーヌは、腫れた瞼、タヌキのようなただ大きいだけの目、低くて上を向いた鼻の、決して美しい子供では無かったが、父はハンサムな男だったと思う。無精髭とボサボサの髪、袖のほつれた上着に衿が擦れたブラウスを着ていても、水商売の女たちに人気があって、おかげで野たれ死にすることは無かった。手風琴の稼ぎが悪い時、女達は部屋に泊めてくれたり、ご飯を御馳走してくれたりした。たまに、「外へ行っておいで」と部屋から追い出されはしたけれど。
 父のオンナ達は、それなりにみんな綺麗で、いい匂いがした。父よりだいぶ年上の女もいたようだが、白粉と紅は、過去も罪も嘘もすべてを覆い隠した。長く豊かな髪をきらめく金や艶やかな黒に染め、持ち切れないほどのピンで優雅に結い上げる。肩を大きく開けたサテンのドレスは、客たちに胸の谷間に札を挟み込ませた。
 下宿で、化粧を落とした顔をまじまじと見つめ、カトリーヌは感心する。
「おねえさん。本当に綺麗(に変わる)。カトリーヌも、大人になったら、少しはおねえさんみたいに(化粧で)綺麗になれるかなあ」
「うふふ、可愛いことお言いだね。チビた口紅だけど、これ、やろうか?こっちの、古くなった香水は?」
 カトリーヌはそうやって、父の情婦たちから化粧品をせしめたり、遊びで化粧のしかたを教わったりした。美人では無いという劣等感はあったが、女たち同様に自分の顔が化粧で変わるのは衝撃ではあった。生まれつきの美人などというのは一摘みなのだと、カトリーヌは8歳にして悟った。

 父の情婦だった女で、酒場の踊り子がいた。カトリーヌが9歳の頃だろうか。
 そこも大きな街だった。女は、場末の、だがそれなりに大きな酒場で踊っていた。稼ぎもよかったようで、父はもう手風琴は弾かず、ずっと女の下宿に居すわって、一日中酒ばかり飲んでいた。
「おまえみたいな不器量、きっと俺の娘じゃねえ」「足さえ無くさなけりゃ、今頃大佐ぐらいになれてた」「俺はきちんと弾けば、手風琴ももっと巧いんだ」
 酒が切れるとカトリーヌに買いに行かせ、金が尽きると、女の仕事場に金を取りに行かせた。カトリーヌは、酒場にお使いに行くのは嫌では無かった。綺麗なおねえさんがいっぱいいてキャンディやアクセサリーをくれるし、父の情婦が着飾って踊るところは特に美しくて、見ていて楽しかったからだ。
 纏った真紅の薄絹は光を含み、肌に巻きついたアクセサリーは光を放つ。太いアイラインの瞳は、もうどこも見ていない。音楽に合わせ、踊り子は、風に翻弄される柳のように舞う。しなやかな鞭のように体がしなり、豹のようにピンスポの中を猛り狂う。激しく、そして優しく、指先が宙を切り、爪先がステージを這う。
 同僚の踊り子が、「ほんとうなら、こんなところで踊っているコじゃないのにねえ」と、ため息をつく。「戦争さえなかったら」、と。
「おねえさんの踊り、すごい!練習したら、カトリーヌもあんな風に踊れるようになるかな?」
 頬を紅潮させて興奮するカトリーヌに、踊り子はにっこりと微笑む。
「うふふ、可愛いこと言うね。昼の暇な時にでも、教えてやろうか」

 父はこの女とは長かったようだが、他の踊り子に女が刺されて、もう踊れなくなって、父は女の元を去った。自分の男に色目を使ったとか、ナンバーワンは私だとか、そんな理由だったようだ。
 父は、仕方なく、再び別の街で手風琴を弾いてコインを稼ぎ始めた。蓄積されたアルコールは、父の指の動きを確実に鈍らせていた。望まれた曲を巧く弾けず、コインを値切られるようになった。ある時は、タンゴの一番の絶頂部でミスタッチをした。街灯のランプの下、聞き入っていた酔客達の耳を不快な不協和音が切り裂いた。
「馬鹿野郎、下手くそ!」
 客の一人が、持っていたコインを父に投げつけようと腕を振り上げた、その時。
 ふわりと。
 素足に真っ赤なペデュキュア。だが子供の足だった。
 あちこち縫い止めた貰い物のサテンドレス。ちょろまかしたシルクスカーフ。小さな唇に紅を差した少女が、石畳の道に降り立つ。
「おやじ、曲を続けておくれよ。タンゴでいいよ」
 その夜、父の帽子は銀貨で埋まった。

「ほんとうなら、こんなところで踊っているコじゃないだろう」
 二年もストリートで踊っていると、客たちからそう言われるようになった。
「せめて、どこか決まった店で踊ったらどうだ?定給が稼げるぞ。ひいき客も付くだろうに」
「契約したがる店は多いと聞くが、なぜだ?」
 父は相変わらず、酒と薔薇の日々だ。それも、安い酒と場末の花の。
 あの男は退廃を楽しんでいる。可哀相な自分を愛しているのだ。
 街から街のその日暮らし。父がこの生活を気に入っていた。

 いいのだ。あたしはいつか、この吹き溜まりを出て行く。
 だが、それまでは付き合ってやろう。この気の毒な男に。
 こいつは、自分が死ぬ時のことを夢見ている。
 ごみ溜めの裏通りで、泥酔して、膝を抱えて冷たくなって行くことを。
 幸せなその夢を、全うできるように。その時まで。

<END>




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