☆ 玉川上水桜桃忌伝説 ☆

三題話HP
「虎が幸せになるために」に投稿した作品 ・・・ お題は「青葉」「切腹」「モテモテ」 


この看板が立ってから何年が過ぎただろう。
『太宰に注意』。
私はその看板の前に佇んでいた。玉川上水沿いの桜並木に、太宰の幽霊が出没するという噂が流れて久しい。看板の塗装は所々剥がれ、太宰の『太』の点もかすれて消え、『大宰』になっていた。私はおもろむに油性マジックを取り出すと、点を書き加えて修正した。
川に身投げした者たちの養分を吸い上げてでもいるように、桜たちはみごとに枝を広げている。残念ながら花はすでに終わっていたが、甘酸っぱい葉の香りがあたりに満ちていた。初夏の日差しが青葉の葉脈を透かして路に柔らかい影を落とす。この木に実がなることは無い。

『派手に自殺して死にたい』
これが私の望みだった。しかし…。
「5パターンくらい考えていたのに…」
私は苦い思いで唇を噛んだ。和服の袖に腕を通して腕を組む。下駄を履いたはずの足元に視線を落としたが…私にはすでに足は無かった。
「無理心中は、自殺のうちには入らん。泳ぐのは苦手だったんだ、くそっ」
薬の耐性には自信があった(中毒だったし)。だが、女の細腕で川に引きずりこまれ溺れ死ぬなど、予想だにしなかった。おまけに、水死体は一番醜いのだ。
「運動不足がたたったな。いや、モテモテなのにも原因があったか」
私の死後二十数年たって、軍服を着て演説したあと公衆の面前で切腹したヤツがいた。ニュースで聞いて、完全に負けたと思った。ヤツの事件は歌にまでなり、当時かなりヒットした(遠藤賢司「カレーライス」)。
自分はどうだろう。せいぜい火浦功「遊んでて悪いか!」でネタにされたぐらいだった。
しかも、ギャグネタだった。みじめだった。
その時、どこからか軽やかな口笛が聞こえてきた。前から、サングラスに和服の男が不思議なステップを踏みながらやってきた。曲は「スーダラ節」だった。
彼はサングラスを懐にしまった。頬がこけて鼻すじの通ったなかなかのハンサムだ。
小柄で痩身な体型が自分に似ていた。そういえば、年齢も、自分と同じ40歳くらいだろう。
川むこうをカップルが歩いていた。彼は、カップルに向って、「よう、おふたりさん!」
と声をかけた後、オーバーアクションで指をさし、「しっかーく!」と叫んだ。カップルは「きゃあ!」「太宰の幽霊だっ!」と叫ぶと一目散に逃げて行った。
『……。』
犬を散歩させた少年がやってきた。「しっかーく!」「うわぁぁぁん、こわいよう」
買物のオバサンが通った。「しっかーく!」「ひえぇぇっ!」
私に化けてこんなアホなことしているヤツがいたのか!ああいう奴がいるから、私の存在がギャグに落ちてしのまったのだ!
じっと見ている私に気づいて、男はこっちへ向って歩いてきた。睨む私と目が合うと、「ごうかーーーーく!」と叫んだ。
「当たり前だ!私は本物だ!」
「えっ?お呼びでない?そいつぁまた失礼いたしました〜」
もう桜に花は無く、ハラホロヒレハレと散ってくれるものは誰もいなかった。男は一人でズッコケながら去っていった。
私は男の背中を見送りながら、『誰か、三島をパロってくれる奴はいないのか、そうすれば少しは気が晴れるのに…』と、深くため息をついた。


                                         <おしまい>


こんなこと書くと、誰かが三島ネタで書きそうでこわい。

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