☆ 大遅筆。 ☆ 続・欲張りなサンタ

 


「ねえ、まだ出来ないの?」
 佳奈子は、僕の書斎のソファに仏像のように座ったまま、びくとも動かなかった。母が運んで来たテーブルのお茶にも、一口も口をつけていない。
 ぴくとも動かないのは、僕の指も同じだ。キーボードで「第一章」と入力してから、既に一時間も経過していた。
「カナちゃん、お茶、冷めちゃったろ? おふくろに入れ直してもらって来ようか?」
 パソコンのモニター越しに、作り笑顔で声をかける。
「司くんったら、台所へ降りて行って、裏口から逃げる気でしょ。それとも、お茶をたくさん飲ませて、私がトイレへ行っているうちに逃亡する気?」
「(うっ、図星)ははは、嫌だなあ。信用ないなあ。もう2年も僕の担当をやってくれているのに、そろそろ信用してよ」
 僕、郷田司は、『木瓜郷』というペンネームの、遅筆で寡作なSF作家である。隣の幼なじみ・金沢佳奈子は今では編集者となり、僕の原稿を取り立てに来るのだ。
「『今の連載が終了したら結婚しよう』って、原稿は落ちてばかりだし、いったい私たちいつ結婚できるのーっ?」
 そして、何の因果か婚約者でもある。詳しいいきさつは、三題話の
『欲張りなサンタ』を読んでくれ。
「粟本(あわもと)先生なんて、おととい『グィーン佐賀』の1,758巻目が出たのよ。今月は65冊も発売になってるわ」
「あの人と一緒にするなっ」
 その時、仏像だった佳奈子が、動いた。
「私・・・黙ってようと思ったんだけど。粟本先生が、早く書ける秘密を知っているの。ほら、これよ」
 佳奈子は書類鞄の中から一枚のチラシを取り出した。月産4万枚と言われる人気作家・粟本巨匠の秘密が今明かされる!
 僕は反射的にそれに飛びつき、ひったくって見入った。
「『家政婦代わりに育ててみませんか? コビト飼育セット』・・・なんだ、こりゃ?」
「だから、『コビト飼育セット』の通販申込書よ。コビトは、知っていると思うけど、家人が寝ている隙にこっそり仕事をこなしておいてくれる生き物なの。育て方次第で、上手に家事をこなす家政婦にもなるし、仕事のアシスタントにもなる。もちろん、基本の『靴を作る』作業もできるわ。先生は、これを何人も育てて、コビト粟本達が書いてるのよ」
 僕はゴクリとつばを飲み込んだ。チラシを握る手が汗ばんできた。
 そんな破天荒なことがあるだろうか。しかし、月産4万枚は、確かに人間技じゃあないぞ。コビトの幼獣、一匹1980円。飼育ケースとひと月分の餌込みでも5千円程度だ。試してみる価値はあるかも?
「つがいで飼うと、繁殖力が強いから、どんどん増えてくれるのよ。それに、けっこう可愛いんだよ」
「ヤッタ! これでカンヅメから解放されるぞ!」
「でも、今日の〆切はきちんとまもってね」
 佳奈子は、天使の笑顔で悪魔のように言った。

 
 インターネットで申し込みをして、2週間後にそいつらはやって来た。洗い桶くらいのケージでカラカラと滑車を回すプリティなコビト達。小柄な佳奈子の小さな掌にさえ、すっぽり包まれてしまうくらいだ。僕はマツイとフルカワと名付け、マニュアル通りにせっせと世話をした。コビトは、僕とそっくりの姿形に変化していった。粟本先生の邸宅には、先生そっくりのコビトが百人ほどいるそうだから、さぞ壮観だろう。夜になると、百匹が並んで机に向かうのだろう。

 

「ねえ、まだ出来ないの?」
 そして。今日も佳奈子は取り立てに来て、仏像と化していた。コーヒーには口もつけていない。
 原稿は相変わらず上がらない。
 マツイとフルカワが書いてくれるように、寝る時もパソコンをつけっぱなしにしていたのだが、朝見ても、時々加筆修正はされているものの、行数自体はほとんど増えていなかった。夜中にこっそり書斎を覗くと、二匹はキーボードを前にして、何も打たずに途方にくれてモニターを見つめていた。コビトは飼い主と同じ能力しかないのであった。ある夜などは、現実逃避してダンジョン・キーパーをやっていた。性格も飼い主と似るらしい。
「粟本先生のところから、こっそり1匹借りて来れないか?」
「作品が盗作って言われても知らないわよ」
「ううむ。じゃあ、うちのと掛け合わせれば、その子供はきっと・・・」
 佳奈子仏像が急に立ち上がった。
「バカ言わないでよっ!」
 ぼこん!、と佳奈子の投げたクッションが僕の顔を直撃した。
「司くんそっくりのコビトが、粟本先生にそっくりのコビトとするのなんて、考えただけでヤだもん!」
「別にオレがするわけじゃないぞ。それで原稿が上がれば結構じゃんかよ。なあ、マツイとフルカワ?」
 ゲージに入った二匹に声をかける。二匹はキャイキャイと高い声で何か叫びながら、涙目でイヤイヤと首を横に振っていた。
 マツイが、ジェスチャーゲームを始めた。
「・・・『私達は』・・・『サカナ』、違う? 近い? フナ? 鯉か! 『恋しあっています』、おいといて。『引き離さないで』・・・」
 二匹はパチパチと拍手をした。正解だったようだ。
 僕としては、『自分にそっくりなコビト同志』が『やる』方が、気持ち悪いけどなあ。
「マツイの方、私があずかってみようか? まだ子供だから、育て方を変えればなんとかなるかもしれないわ」
「え、ほんと? 頼むよ!」
 正直に言うと、僕はひじょーにすけべえな気持ちで、二つ返事でOKしてしまったわけだ。佳奈子にそっくりなコビトと、僕にそっくりなコビトが・・・(妄想の嵐)。あ、よだれが・・・。


「ねえ、まだ出来ないの?」
「キャイキャイキャイ?」
 そして2週間後。僕は浅知恵を後悔することになる。
 昼は佳奈子が、佳奈子が寝入った夜中はマツイが、原稿を催促しに来るようになってしまった。
 頼むから寝せてくれー。フルカワ、書いてくれーーーっ!
 フルカワは僕の叫びに耳を傾けることなく、隣のテレビでFF8を黙々とプレイするのであった。

                                         <おしまい>


 ちなみに。

 ゼミでの雑談で出た話では、K本先生は日産300枚だそうだ。マジで。
 睡眠7時間、食事に1時間ずつ、入浴1時間として。1日に書く時間は13時間。
 四百字詰め原稿用紙300枚ってことは、12万文字。ローマ字入力だと24万回キィを叩くわけだ(もちろんその他にEnterキィや変換キィなども押すわけだが)。
 13時間で24万回。1分で約300回である。
どれくらいの早さか、みなさまチャレンジしてみてください。
 また、手書き原稿に換算すると、A4の四百字詰め縦一行が17センチ。300枚だと6千行になるので、
112,000センチ、つまり1,120メートル。1キロ以上の距離をペンが走っていることになる。
恐るべし。


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